< 桜が丘の今・昔を知る、歩く >
講座風景

講師の安島喜一先生

*安島先生の資料は貴重なので1部分抜粋しました
多摩湖湖底から移転(大正4年(1915))

162戸の内、142戸が東大和市域内の村に移転する。
移転者はおおむ上記の通り狭山丘陵南麓の既存の集落
或いは集落の南端に混在しました
「移転場」という言葉も残りました(先生の資料抜粋)
村山貯水池工事概要

工事全体は工事用資材の運搬路である二つの導水路、
村山貯水池の本体の3つに分かれます
大和村の成立(大正8年(1919)11月1日)

高木村他5ケ村組合を廃止して「大和村」になる
人口 5,190人 戸数 770戸
高木村・清水村・狭山村・奈良橋村・蔵敷村・芋窪村です
東京瓦斯電機工業(株)の進出(昭和13年)

青梅街道の南は畑地と林でした。そこに工場建設をする
工場地域と従業員の居住地を分けて建設

今の桜街道を境に完全に分離されていました
北側は居住地、南側は工場です。北側の居住地には、
映画館、テニスコート、相撲場、野球場、弓道場、運動場
浴場、寮、迎賓館、パン工場等ありました
多摩地区の軍需関係の位置を見てください

東京瓦斯電機工業の周りには、飛行場・士官学校・兵学校等が
有りました
東大和市になった頃の様子

市政施行(昭和45年10月1日)
所帯数 1,264戸 人口 45,902人
東大和市の人口の推移

団地の建設による人口増加の市であります
平成26年の実績
所帯数 37,108戸 人口 85,297人
*安島先生の資料をアレンジして掲載しました
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